数井みゆき先生のアタッチメントコーナー
アタッチメントこぼれ話 #1 ~secure(安心)とsafe(安全)の違いとは~
アタッチメント理論や研究において、「安心の基地」(secure base)や「安全な避難所」(safe haven)という言葉は、中心的な専門用語であると同時に、専門家だけが使う言葉ではなくて、日常的にも用いられるものです。今では、secure baseに安心の基地、という訳語を充てることで統一していますが、20年くらい前までは、“安全”の基地というように表現していました。変更した理由は、Bowlby(1973/2000)がこの2つの言葉が何を定義しているかということを書いた文章を見つけたためです。
Bowlbyが引用しているオックスフォード英語辞典によるとsecureという語は、心配や悪いことの生起に対する予感、不安、危機感から自由になることを意味するそうです。つまり、secureとは、感情に反映された世界に適用され、現実の世界には適用されないということになります。対照的に、safeの本来の意味は「傷ついたり損害を受けたりしない」ということです。したがって、それは感情に反映された世界ではなく、ありのままの世界、現実に安全かどうかということになります。
これらの用語を本来の意味で用いる例をあげると、「状況は十分に安全だったにもかかわらず、彼は非常に怖がっていました」、または、「状況は危険であったものの、班長の行動によって私たち全員は安心だと感じていました」などになるでしょう。つまり、secureは心理的な安心感で、safeは環境的に安全であることになります(ただし、ストレンジシチュエーション法での分類では、secureは安定型と訳します)。アタッチメントに関わることでは、このように安心と安全の意味を使い分け、それが何を指しているのかをきちんと理解することは大切なことです。
*Bowlby, J. (1973/2000). Attachment and loss:Separaion. (pp.182-183).
New York: Basic Books.
アタッチメントこぼれ話 #2
~赤ちゃんが親(養育者)に対して築くものがアタッチメント、その逆ではありません~
出産前後の話で、妊娠中のママに、「胎児への愛着を持ってもらわないと」とか、新パパへ「お父さんに赤ちゃんへの愛着を付けてもらわないと」などと支援的立場にある者が発言しているのを聞くことがありました。そのような発言は、新ママやパパに、赤ちゃんと自分との絆をしっかりとつけてほしいという意図なのでしょう。発言者は、アタッチメント関係を知らないわけではなくて、その人の中では、愛着(アタッチメント)の定義があやふやで、愛情、特別な思いなどの感情・気持ちを混ぜてしまっています。ただし、このような人の一部には、その「愛着」を明らかにボウルビーの「アタッチメント」のこととして、発言している人がいることも、知っています。専門的立場にある者には、親が子どもに対して築く関係はアタッチメントではないことを明確に理解してほしいと思いました。
アタッチメント理論では、小さい者が大人に対して向けるものがアタッチメント、大人が小さい人に向けるものがボンド(絆)と記されています。ボウルビーがそう書いています。耳にたこができている人もいらっしゃるかもしれませんが、アタッチメントは単純な愛情ではありません。不安を調整する機能です。だから、大人が子どもにアタッチメントを向ける、つまり、自分の不安の解消を求めることは役割逆転と言われて、子どものアタッチメントを阻害する最も重大な要因の1つになっています。新ママ・パパへの直接的な声かけよりも(プレッシャーになることもあるため)、支援者は新ママ・パパが赤ちゃんと絆を築けるようなかかわり方を伝え、こうすればあかちゃんは安心するよ、というような具体的な言葉を使いたいものです。これは、何も小さい赤ちゃんに限ったことではなくて、幼児でも児童でも、かかわり方の本質は同じだと思います。
アタッチメントこぼれ話 #3
~アタッチメントは強弱ではありません~
参加者の多くが子どもに関わる支援者である研修において、まずアタッチメントの基礎理解として、乳児期からの発達やその個人差、養育の特徴について説明しました。その後、グループワークを行い、参加者それぞれが自身の経験を分かち合いながら、アタッチメントの視点からどのように理解できるかについてディスカッションしていただきました。
その時に、話し合いの内容が聞こえてきました。詳しいことまではわからなかったのですが、「・・・アタッチメントって、うすいアタッチメントと濃いアタッチメントがあるから・・・」という部分が聞き取れました。あれっ?あれっ?っと私はなってしまいました。この講習では、アタッチメントの個人差について、強いとか弱いとかでは表現しないという話はしました。確かに、うすい、濃いという言葉は使わなかったのですが、意図は同じです。
おそらく、助けを求めなかったり、あまり寄ってこない子どもの特徴を見て、それを「うすい」と感じているのかもしれません。また、「濃い」には、ささいなことでの対応を頻繁に求めたり、落ち着かず支援者の注意を引き、ぺたぺたしてくる子どもの特徴が思い浮かんだのかもしれません。前者は回避型を、後者はアンビヴァレント型を思わせますが、2歳を過ぎている場合、あるいはもう、学童期であるような場合は、単純にアタッチメントタイプと対応するとはかぎりません。
このような「うすい(弱い)」「濃い(強い)」という自分の理解に引き付けた言葉を選んで用いることは、アタッチメントの本質から、だんだんと離れていく問題をはらんでいます。確かに、回避型やアンビヴァレント型というタイプについて、日常的に「もっと直感的にわかりやすい表現」を用いたくなる気持ちもわかる気はします。ただ、「うすい」という言葉でまとめてしまうと、「あの子はうすい子だ」となってしまい、回避型の子が出す、わかりにくくても接近したい、対応してもらいたいというシグナルを見過ごすことになりかねません。同じように、「濃い」についても、あの子はいつも大したことがなくてもぺたぺたしてくるだけ、というまとめられ方になってしまうと、その子のいつもとは少しちがうようなシグナルへの対応は難しくなるかもしれません。
正しい言葉を使うことは、アタッチメントの理解を深める一助であると思います。「回避型」(あるいは、A型)や「アンビヴァレント型」(あるいは、C型)をそのまま、使っていただくことはその一歩だと思っています。
アタッチメントこぼれ話 #4
~アタッチメントを「愛着」と訳さない方がいい理由とアタッチメントを「愛情」とは考えない方がいい理由~
今回は少し長めで専門的な話も含みますが、なんども蒸し返されてきた内容なので、お付き合いください。
ネットや書籍などでは、とくに一部の臨床家が、英語の attachment は一般的な辞書では「愛情」を含む意味をもつことなどを根拠に、「愛着」という言葉には愛情が含まれていると説明しています。そのため、「アタッチメント」とカタカナで表記するのではなく、「愛着」のまま用いるべきだと主張する人もいます。また、ボウルビーが affection(アフェクション)という言葉を用いていることや、アタッチメントを affectional bonds(愛情の絆)と表現している箇所を取り上げ、「アタッチメントとは愛情の絆である」と主張する人もいます。
ボウルビィ自身、読者層や文脈に応じて、定義を変えたり、わかりやすさを優先した説明をしたりしているのは事実です。しかし、少なくとも学術的に厳密な定義――とりわけヒトだけでなく他の生物にも当てはまる定義――では、アタッチメントとは、危機やネガティブな情動(不安や恐れ)によって活性化されるシステムです。そのような状況で、子どもに「守ってもらいたい」「近づきたい、くっつきたい」「安心したい」という欲求を生じさせ、その欲求を満たすための行動を引き起こします。そして、養育者に保護を求め、近づくことによって、不安や恐れといったネガティブな情動を調整し、安心感を回復しようとするシステムなのです。
この定義には、「一緒にいるだけでうれしい」「楽しい」といったポジティブな情動を伴うアフェクションは含まれていません。アフェクションとは、一緒に時間を過ごす中で感情を分かち合い、お互いの気持ちを結びつける、いわば心の接着剤のような働きをするものです。その意味では、attachment の訳語として、「愛情」を想起させやすい「愛着」という言葉を用いることは、少なからず誤解を招く可能性があると私は考えています。
私たちは、ネコやイヌ、トリの親子を見ても、「親子の愛情」を感じることがあります。しかし、そのように見えるからといって、アタッチメントまで「愛情」と考えるのは少し違うように思います。こうした動物の子どもにとって、養育者との近接を求めることは、生きるために欠かせない行動です。危険を感じたときに親のそばへ行けなければ、生き延びることができません。つまり、アタッチメントとは、本来、生存を守るためのシステムなのです。その意味では、「ほんわかした愛情」のイメージをアタッチメントに重ねるのは、理論的には適切ではないと思います。
また、「エインスワースもアタッチメントには愛情が含まれると言っている」と説明する臨床家もいます。しかし、エインスワースが開発したストレンジ・シチュエーション法(SSP)は、子どもに一時的な不安や緊張を経験させ、そのときに親にどのように近づこうとするのかを観察する方法です。つまり、彼女が見ようとしていたのは、「楽しいとき」や「うれしいとき」の親子関係ではなく、不安や恐れを感じたときに働くアタッチメントの個人差だったのです。アタッチメントと愛情(あるいは warmth:温かさ)は、本来、別の働きをもつものです。だからこそ、「安心を求める相手」と「一緒にいて楽しい相手」が必ずしも同じとは限りません。エインスワースは、そのことをきちんと理解していた研究者だったと言えるでしょう。
一方で、現代、とくに西洋をはじめとする先進国では、子どもが求める「安心」と「愛情」の両方を、同じ親が満たすことが当たり前になっています。そのため、「安心を与えること(アタッチメント)」と「愛情を示すこと(アフェクション)」が一緒に語られやすくなり、「アタッチメントとは愛情のことだ」という誤解も生じやすくなっているのかもしれません。
これを書きながら、話に聞いたあるケースを思い出しました。そのお母さんは、複数の支援者が見ても、「子どもに温かく関わる、とても優しく穏やかなお母さん」という印象を持たれていました。しかし、子どもが不機嫌なことが多く、それがお母さん自身の悩みでもありました。ある日、子どもがぐずっている場面を何気なく見ていると、お母さんは笑顔で次々におもちゃを子どもの前に置いていました。そして、ただ優しくほほえみ続けていたのです。しかし、子どもがそのとき求めていたのは、おもちゃではなかったのでしょう。空腹だったのか、喉が渇いていたのか、抱っこしてほしかったのか、それとも別のことだったのかは分かりません。ただ、その子が伝えようとしていることに、お母さんはうまく気づけていなかったのです。子どもは、差し出されたおもちゃを怒ったかのように投げました。
これは、「温かさ(warmth)」とアタッチメントニーズへの「応答性」は同じではないことを伝える場面だと思います。
もちろん、言葉の使い方を強制するつもりはありません。ただ、この文章を読まれた皆さんが、「アタッチメント」という概念を見つめ直し、その訳語についても一度立ち止まって考えていただければ幸いです。
(この内容の作成には、遠藤利彦先生からの助言を受けました)
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